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ENTROPYX説

2004/12/22

「ドア」つながり

株式会社 北村鉄工所  段付き 丁番
矢印のNEXTボタンで他のページも御覧いただきたいが、この分野としてはユーモラスなキャッチコピーに虚をつかれてしまった…個人的には著しくツボである。見れば見る程頼もしそうで、小ロットだとしても見積もり依頼の気持ちを抑えるのは難しい。私は若干間接的な立場なのだが、予算面を別にすれば特注する事によって、或る問題に於ける解決の糸口が見つかる気がする。う〜んどうしようかな、何とかならないものか…。

kskr

2004/12/19

ヤキモキその後

ヤキモキ後に程なく届いて、やっとザッとした通読完了。『ルミナス』との関連は「人の数学的なアイデンティティ」だったろうか…確信はない…私の勘違いだったかも。

「2ちゃんねる」イーガンスレでの幾つかのコメントには納得し、否定的な意見も解らないではない…何しろ長編だけに長いし、登場人物の意見や状況が(把握しかける度に)コロコロ変わる。恐らく、中ネタ大ネタだけを切れ味良く摘む読み方は難しかろう。私には「吉里吉里人」しか解らなかったが、別人の本の内容を連想する意見もあって、個人的に連想出来なかった分の著作をこれからの読む本の指針にしてみたいもの。

それにしても、「万物理論」ラストの状況になる事を、リアル統一理論家がもし本気にするとしたら、随分なプレッシャーになるであろうと思われた。

kskr

2004/12/13

揺れる「クリスマス」

「メール」は初めから揺れていた。
私が未経験の「パソコン通信」と言われた頃から、「電子メール→Eメール→メール」などと呼称が変遷し、「ウェブメール」や「インターネットメッセンジャー→メッセ(IM)」等の亜種も生まれているようだ…いや、電子メールとして(端末上のメーラーソフトを使う場合も含めて)一体どれが亜種なのか、実は理解していないのだが。

呼称に関しては、「ポケットベル→ポケベル」と変遷したのと似た理由で、パソコンや携帯電話等でのメールが一般化し「インターネットを通して電子メールをし合う友達(のようなもの含む)→メル友」と変遷したケースを、個人的に見逃す事が出来そうにない。

それにしても「メル」とは…

私は「メル…」と言われた途端、「メルカトル」や「メルクマール」や「メルクリウス」や「メルシー」や「メルセン条約」や「メルセンヌ」や「メルトダウン」や「メルトン」や「メルバトースト」や「メルビル」や「メルヘン」や「メルボルン」や「メルラン」や「メルルーサ」や「メルローポンティ」等を連想してしまって、どんな「…友」なのかを話の流れから特定する場合に大変な困難を伴う。「友」に関しても若干問題を感じるが、ここで触れるのはよそう。


しかしながら時代は流れ続ける。
はたして「クリスマス」はどうであろう。例えば「あけよろ〜」「ことよろ〜」「おめ!」「乙」等と同様、「メリクリ〜」という言い方があるらしい…既に元の「クリスマス」の部分は「クリ」しか残ってないではないか。

という事は会話の中に於いて『ねぇねぇ今度のクリどうするの〜?』とか『クリはちゃんとしてよクリは。絶対だよ!』などという甘いリク(というか厳しい根回しや指導や命令)が飛び交ってるのであろうか。色々と謎ではあるものの(私は「クリ…」と言われた途端…略…なのだが)、可能性を否定出来ない。

とはいえ通常「クリ」だけで「クリスマス」の事を示すのは、非常に差し迫った状況を想起させられるし、一般会話での呼称の略し方として如何なものか。個人的な事情で申し訳ないのだが「クリスマス」の呼称を略すとしたら、私としては3〜4文字が限界である。

そこで淡い期待を込めつつ、語感を失わない程度の略し方を挙げてみよう…

4文字では「クリスマ」「クリスス」「クリマス」「クスマス」「リスマス」

3文字では「クリス」「クリマ」「クスマ」「クスス」「クマス」「リスマ」「リスス」「リマス」「スマス」

…などである。
リンクを張った「クスマス」や「リスマ」は、私が可能性を感じた略し方だ。驚いた事に「クスマス」に関しては、既にもう「クリスマス」の誤植としてもwebデビューしているではないか。「リスマ」に関しては「リスクマネージメント」や「リスのマーケット」などを連想してしまいそうになるものの、個人的には我慢出来る範囲である。

いやはや、「クリスマス」が揺れるのは程々にして欲しい…などとは、あらゆる意味で決して書くまいと感じてしまう今日この頃であった。

kskr

2004/12/10

ささやかな工作

グレッグ・イーガン /山岸真 訳 『万物理論』…もう出てたんですね、気付きませんでした。遅ればせながら本屋へ駆け付け、地元では品切れてるのを幸い?ネットで注文してしまいました(って送料かかるやんか〜 嘆)。まぁ仕方ない…『万物理論』のネタに関連があるという『ルミナス』を予習代わりに読み返しつつ、早く届いてぐれ〜っぐ…とヤキモキ中。

kskr

2004/12/05

ある「移動」の繰り込み

前回の冒頭で考察しかけた「どこでもドア」だった訳だが、考えてみれば「ただのドア」に関しても何故ドアの形状をしているのかを、私自身理解してないようである…「どこでもドア」の考察までは、まだまだ延々たる道のりがある、と言わざるを得ない。

ドア(ただのドア)は、長らく日本で使われてなかったと個人的に認識していたが、大きな括りで「扉・開き戸」と考えれば、どこまで遡れるのであろうか。

私の浅い認識とは全く違い、考える家 :気配の住宅論 5.建具や、robin d. gill の フロイス問答場の記述によれば、日本でも「扉・開き戸」の方が古かったそうな。単に「引き戸」で殆どの開口部を占めてしまう時代が、あっただけのようである。

また或る本では「縄文以来の伝統的な住まい」として壁が無い(屋根が壁を兼用している)タイプの縦穴式住居のイラストが載っており、出入り口部分は「跳ね上げ式の板戸」になっている事が解る…これを開けたままにする場合は、木の棒で支えられてるだけ(支点部のディテールは描かれてない)の為に「扉・開き戸」というよりは「蓋」に近い印象である。確かに、この縄文時代まで遡ってしまえば、構造として複雑な「引き戸」は考え難くなってしまう。

イラストによる「跳ね上げ式の板戸」は、個人的にどこまで信憑性があるのか判断出来ないものの、それ以前に遡っても出入り口部の「(固めの材質による)扉」としては無いように思えた…恐らく、藁を編んだ暖簾状のものや、簾状の出入り口部があったとしても、推測の域を出ないのではなかろうか。


正直今度は「引き戸」がどうやって生まれたか、という事が気になるのだが一旦保留にするとして…実は、それ以前に私が気になってるのは「扉・開き戸」ですら無い。


「部屋」が片付かないのだ…もちろん棚も机上も片付かない。多分、私の一生は「部屋」の整理で終わるのではないかと思う。

驚くべき事ではない。これは「部屋」をどの様に考えるかによっても違ってくる。一般的に部屋と呼ばれる場所に於いても、ドアや引き戸の開口部を通過している時点で、いや、「何かを通過してる」という思い込みこそが、「部屋や場所概念」の前提の一つであろう。

もちろん「通過」でなくても「移動」は、している…もしかすると「移動」さえ思い込みかもしれないが、「移動」さえ出来れば「部屋・場所」の大きさ広さは、主観的にも客観的にも曖昧になり、無限小から無限大まで任意の値となるかもしれない。


私は結局の所「移動」である。少なくても「部屋・場所→物質」である。「部屋」を片付けてる時点で、「ある物質x」が「ある物質x'」を「移動」している事になると思われる。


しかし、「移動」に伴う作用反作用は、一体全体何に由来しているのであろうか。

kskr

2004/12/02

脱脱力系?

アメリカではPUFFYが流行っているらしい。
えっ?これってもう有名な話?
私ゃさっき知ったばかりっす。

二人をキャラクター化したアニメも先月から始まって、それがまた高視聴率を達成したとのこと。 やるねぇ。
おそらくはSonyMusicの企みなんだろうが、そうは言ってもやはり受け入れられる素地がなければ人気は出ないだろうし、これまで向こうでアニメキャラにまでなるほどもてはやされた日本人はそうたくさんいない(っていうかいない)わけだから素直に凄いと思うよ うん。

それにしても日本でパフィーがブレイク(これ死語?)したのは1996年だからもう8年以上経ってるわけだね。うーん普通に考えればこんなにタイムラグがあるのは変だよな。以前国内で人気があるころになぜアメリカ人はPUFFYを聴かなかったんだい!って思ってしまう。

まぁ日本に来る機会のあったアメリカ人がCD買って帰ることはあったとしても、向こうでは入手できなかったわけだから無理もないか。売ってなきゃ仕方無い。

でも考えてみると今じゃネットがあるわけだから、CDくらい海外のサイトから買う事だってできるわけで、いかに依然プロモーションの力が大きいかが分かるってものだ。大方の人(世界中の人ね)がいかに怠慢で、プッシュ型の情報にしか興味を示さず積極的に音楽選びをしてないかがわかるよ。日本人(在住のアーティスト)の音楽がプロモーション無しで海外でハジけてるなんてきいたことないもの。

それにしても上記サイトで見るかぎりPUFFYはキャラも実物もとても元気な感じで、8年前に初めてPUFFYを見たときの「なんだこの力の抜けたような歌い方は~」といった負のイメージはどこにも見受けられない(と思う)。私がただ関心がなく最新のPUFFYを知らないだけで、じつは元気なイメージに変わったんだよと言われれば納得するが、そうじゃなくアメリカ版用にキャラ変えたんだとしたら、なんか腑に落ちないものを感じてしまう。

というか、日本人のファンの人は腑に落ちているのだろうか。 と余計な心配をしてしまうのでした。

1996年、日本じゅうで脱力系という言葉がもてはやされ、ジベタリアンという重力に打ち勝つことができない人種が発生し始めた時期でもあったが、今は脱力系からの脱出を試みているということなのか? アメリカ進出なんていう反脱力系な活動してるなんて、販促、いや反則もいいところだ。

それともあれか?そのころの「脱力PUFFY」も計算しつくされたマーケティングによるプロモだったのか?

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