非広告型広告の力
今日書店でバイオのブラジャケを発見。
いままで他のブランドのものを見掛けてはいたものの、いまひとつ貰う気がしなかったのだが、今回のは気に入ったのでちょっといただいてみた。帰宅して文庫本に装着してみたところ、これがなかなかすっきりしていてGoodな印象。
リバーシブルのそれは「バイオtypeT」のカラバリ2色、紺と茶(正式名:ミッドナイトブルーとバーガンディーブラウン)のどちらでもカバー可能だ。(上記画像はミッドナイトブルーバージョンの状態)
本に付けた時、背面に相当する位置にはバイオサイトのURLが小さい文字(7pt程度)で印字されているだけである。読めない広告とは一体なんじゃ?という気もしなくもないが、使用する側にとってはこのほうがありがたい。
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紙媒体の広告というものを考えた時、電車の吊広告や雑誌の広告は言ってみれば企業の押し付けみたいなものだが、ブラジャケの場合、そのブランドを支持する人がいるというメタ広告も同時に発信しているという点で、これは画期的なメディアなのではないだろうか!
・・・なんて具合に過大評価をしたら「所詮は射程範囲半径1mという極小アドバタイジング。バッグの中にしまい込んでいる時間のほうが多い文庫本の背表紙を広告媒体にしてどれだけ効果があるのか?」というネガティブな意見も出てくるだろう。
たしかにそうかもしれない。
しかし、私はさっき実際に作った「バイオブラジャケ本」を手にしてみてハッとさせられた。その半径1mという射程範囲の中に自分という人間が入っていたことに気付いたからである。
誰よりもまず、ブラジャケの使用者こそがその広告(ブランド)を一番目にすることになる。しかも(ここが肝心なのだが)本人はそれを自分に対する広告とは、これっぽっちも思ってないというトリック付きだ。
ブラジャケの使用者は、自分は「広告する」立場ではあっても、広告される側だとは思っていない。まさか自分に対する広告だとは思っていないのである。そこにこちら側の隙があった。ミイラ盗りのミイラとはこのことか。
彼ら(企業)にとっての広告の最終ターゲットはこの私なのだ。仮に私がこのカバー本をバッグにしまいこんだままだとしても、彼らは何も心配することはないだろう。わざわざ広告を持ち歩いてくれているのだから。
そしてもし人前でブラジャケ付きの本を読むことがあれば、使用者(私)はそのブランドに対して何らかの強い思いを抱かずにはいられまい。他者に対してそのブランドを肯定しまくっている自分がそこにいるのだから。
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とはいえ、ここでこうしてブラジャケの分析をしたつもりで得意になり、バイオブラジャケを文庫本に付けて喜ぶ私は何なのだ? 一番踊らされているのは私自身かもしれない。
すごい紙切れだ。
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