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ENTROPYX説

2005/03/14

デバイススタイルのトースター

トースターを衝動買いしてしまった。
デバイススタイルのトースター。13000円也!
売り場には1000円以下の値段がついたものも陳列されていたので、その差10倍以上である。世界広しと言えども、たかが(失敬)パンを焼く道具に10000円以上も払う人間はそういないだろう。逆に、そんなものになぜお金を使うのだとツッコまれそうだ。

考えてみればiPod shuffleの512MBなら楽々買える値段である。これがもし利口な人ならiPod shuffleと1000円のトースター買って帰るだろうなぁ。私はバカな人間である。

しかし、これでいいのだ!もともとこれはプレゼントとして買ったのだから。(それならなおさらiPod shuffleのほうが喜ばれるだろうっていうツッコミも聞こえてきます。うーんそういう意見もありますか。汗 でもじつはあげる相手は家の人なのでパーソナルユースのiPodよりもリッチなトースターのほうがこちらが恩恵にあずかれるというメリットがあるのでした。それってプレゼントと言えるの?って責められたらいい訳の余地はありませんが。冷汗)

正直なところ家人へのプレゼントというのは全くの口実であって、単にこのトースターを私が使いたかっただけなのかもしれない。もっと言えば「使いたかった」というより「これが置いてある家に住んでみたかった」というほうが正確だろうか。

デバイススタイルは日本のメーカー(工場を持たないので正確にはファブレスメーカー)で、まだ新しい会社だ。数年前からパーソナルなワインクーラーで話題になっているので、聞いたことがある人は多いのではないだろうか。デバイススタイルを起業した社長は元ケンウッドの企画部に居られた方だというのも業界では有名な話になっているようだ。

デバイススタイルの製品デザインは秋田道夫氏の手による。秋田氏もかつてケンウッドでデザインをされていた人物だ。業界人以外の人はあまり耳にする機会のない名前かもしれないが、「名前ばかり表に出ているが全然大したことない某大御所デザイナー様」なんかよりよっぽど凄い人である。

と(余計なことも含め)いろいろ書いてしまったが、ここまでは前置きである。私がこのエントリーで紹介したかったのは以下に引用(ちょっと長すぎますが)させていただいた秋田氏による文章である。数日前にこの文章を読ませてもらった時、あまりの衝撃に言葉が出なかった。私がこのトースターを買って家に置きたかったのは、それを目にするたびにこの言葉を思い出したかったからでもある。


姿勢
かなり以前コラムに磯崎さんの言葉をかりて「大文字のプロダクトデザイン」 というお話を書いた事が有ります。
もう一度簡単におさらいすると「ささいな事を手がかりにデザインのヒントをえるのではなく、どうすることが人々のしあわせにつながるのか高いところから考えるようにしようではないですか」という意味です。
例えば、今から4年程前にあるインテリアショップで開催されたデザインコンペがありましたが、そこで受賞したソファーというかベンチがあったのですが なにが「デザインポイント」だったかといえば1メートル80センチぐらいの座の部分の片側に「丸い穴」が貫通しているのです。その30センチぐらいの丸い穴はなにをするかといえば、うつぶせに寝てその時穴を通して床においた雑誌 が読める。というまるで「とほほ」なアイディアが評価されて受賞していたわけです。審査のウエートの何分の一かが「アンケートの人気投票」だったのでわたしは審査員もアンケートした人たちもなにを考えているのかよくわからなかった。
べつの例えをすると、椅子があって「リモコンが良く無くなるからリモコン入れをひじ当てのところにポケット作りました。」とか、その昔流行った「カウチポテト(ソファーに寝そべってポテトチップを食べながらテレビを見ている様のことをそう呼んでいました)」の為のソファーを、デザインする時に「ポテトチップが湿気ない為に乾燥ボックスとコーラを冷やす為の小型冷蔵庫を手すりにビルトインしました。」(便利ですね確かにワインの栓抜きぐらいのポケットがあるのは有りかもしれません)とデザイナーが誇らし気に「コンセプト」を説明してもわたしは評価しない。ここに例として書いたぐらいなので自身考えられるけど「してはいけない」事だと私は思います。
「ライフスタイルデザイン」というのはスマートで矜持を持って生きる様を言うのであって「ずるずるしている様子」にアジャストすることではない。
自分でもそういう「だらしの楽ちん」な瞬間もあるけれど「好い事とは思わないプライド」は必要だと思っています。
「王様のアイディア」というお店があります。何年ぐらい続いているんでしょう。私が学生のころからあったように思いますが、さっき例えで出した「ゆるい生活をもっと便利にしましょう」というのをジョークをまじえて製品化していて景品やプレゼントにして「話のねた」になるのがコンセプトかと思います。 この「王様のアイディア」なのか「プロダクトデザイン」かという例えは私の 学生時代から引き合いに出されて「君のこのデザインは王様のアイディアだね」と評価されれば「もうちょっと深く人間を見ようね」と言われたようなも のである。
「3畳の下宿に住んでいてこたつの中に入ればほとんど生活用品が手が届いて しまうのですが一息手が長ければ完璧なんでマジックハンドを使うんですけれ ど、もっとかっこよくデザイン出来ないかと思って軽量化の為、継ぎ手にアルミパイプ、滑り止めにゴムを使用しました。」というのは王様のアイディア。
「先日駅のホームで手袋の片方を線路に落として、駅員さんに言ったらそこの柱にあった箱の中にマジックハンドがあって、線路の下に落ちた手袋を線路に降りないで取れるのを見て感謝の気持ちともっと軽量に女性でも使いやすいように改良してみました。」というのはプロダクトデザイン。
売り出されれば「同じデザイン」かもしれません。(業務用は高くなるのでマニアしか買わないでしょうが)でもねそこには「小文字」と「大文字」の違いがあるのです。
いつまでも「3畳」の生活を続けたいのならしょうがないですがそこから抜けたいしかりそめと思っているのなら「今のかたち」は不便な方がいい。そして抜け出したいと言う「モチベーション」を高めてほしい。
知り合いに「サーモマグのコーヒーメーカー欲しいんですが今の住んでいる状態ではちょっと買えないんです。」という人がいます。わたしはそれで良いと思っています。部屋をかたづけて(場所もこころも)きれいな状態の中にあのコーヒーメーカーが似合う環境を作りたい、と思って欲しい。まちがっても「寝そべってもコーヒーこぼさないで飲めるように出来無いですかね」というリクエストには答えたく無い(そういいつつもこぼしにくいデザインになってますが)。
わたしはプロのデザイナーまでもが「ぬるい生活の利便性」に手をかしているように思っているのですよ。学生と同じような6畳のアパートでこういう「びしっと叱る」ような文を書いているのもなんか不思議ですが。

Langage for form 「memo」2005.1.16の文章より引用


sim

27 Comments:

  • kskr & sim様
    コラムに取り上げていただきありがとうございました。
    お礼が遅くなってしまい申し訳ありませんでした。

    引用していただいた文は別の言葉にすると「矜持」の大切さかと思います。先日行きましたセミナーでスペイン
    の若いデザイナーが椅子にリモコンや飲み物をいれるポケットを施しているのを見て自分のコラムを思い出して
    笑ってしまいました。世界中でこういう「ショートコント」なアイディアをデザインと称しているんだと思い
    新しい世界観というのが衛生や後始末の問題をクリアー
    しないで成立していることにびっくりしつつ1970年代の黄金期はこういうものが多かったとあたらめて思い出されました。

    最後にかのトースターで食べる食パンはほんとうにおいしいですね。機能にデザインが負けないようにデザインに機能が負けないように「つばぜりあい」しているのを
    ひと事のようにほほえましく思ってぱくぱく食べております。

    これからもよろしくおつきあいください。
    2005/5/22 秋田道夫

    By 秋田道夫, at 5/22/2005 7:53 PM  

  • 秋田様

    驚きました! まさか直々にコメントをいただけるとは夢にも思って
    おりませんでした。お礼のお言葉までいただいてしまい大変恐縮です。

    それどころか
    文章を無断で転載させていただいたこと、どうかお赦しください。

    また、コメントいただいたのに気付くのが遅くなり、こちらこそすみません。
    書き込みくださり、ありがとうございます。
    このブログはkskrとsimの二人が気まぐれで綴っております。
    上記記事は私simが失礼ながら書かせていただきました。

    simはペンネームです。リアルな名前は榛葉誠(しんばまこと)と申します。
    じつは秋田さんには昨年末、青山で開かれたクリスマスパーティーにて
    お目に掛からせていただきました。秋田さんとJDNの山崎さんがいらした
    同じテーブルに、もうひとり40男が居たのを憶えていらっしゃいますか?

    ちなみに私はそのとき秋田さん出題の問題に正解した一人でもあります。
    「ダリが意外に近代の画家だ」という曖昧な認識だけが頼りだったのですが。
    その後、楽しいお時間を過ごさせていただいたことに、何のお礼やご挨拶も
    出来なく申し訳なく思っておりました。

    私は現在も細々とではありますが、フリーでプロダクトデザイン稼業を
    営んでおります。名実ともに日本のプロダクトデザイン業界のトップに
    君臨される秋田さんには到底及ぶものではありませんが、日々地道に
    活動を続けていけたらと思っています。

    先日行われたスペインのセミナーにいらっしゃったのですね。
    私は参加応募の抽選から外れてしまい、覗くことができませんでした。
    お会いできなくて残念です。またどこかで顔を拝見したときは、声を
    掛けさせていただきますのでよろしくお願いいたします。

    ご自身のブランドを立ち上げられるとのこと、すばらしいですね。
    あのバイオレットカラーはブランドイメージカラーですか?
    あの色相には何か不思議な世界に通じる入り口があるのではないかと
    以前から妄想していた色ですので、妙な共感を抱いてしまいます。
    どんなプロダクトが登場するのか、いまから楽しみにしております。

    ところでデバイススタイルのトースターを部屋に置いてから、
    その佇まいがインテリアの空気感をキリリと緊張してくれている
    ような気がします。
    金属の塊が宙に浮いているように見えるせいでしょうか。
    部屋のインテリアがこのトースターに合うよう、いろんな意味で
    レベルアップしなくてはいけないなと感じつつ、愛用させていただいて
    おります。

    私だけにとどまらず、インテリアデザインの仕事をする、当ブログの
    住人kskrも秋田さんの文章には強い衝撃を与えられていると申しております。
    直々のコメントをいただき、彼もたぶん秋田ファンの一人になったことと
    思われます。私ともどもよろしくお願い申し上げます。

    今後ともご指導、お叱りなど、いただけたらうれしく思います。

    2005/05/25 simこと榛葉誠

    By ENTROPXIS Member, at 5/25/2005 1:33 AM  

  • sim様
    本名を出させることになってしまい申し訳ありませんでした。
    わたしもびっくりしました。もちろんパーティーでお会いしたことをよく覚えております。
    通例こういう往復書簡は見ている人達にとってしらける事であることは重々承知した上でプロのプロダクトデザイナー同士がちゃんと話し合う姿と言うのを見る機会がないと思いあえてまた返信を書きました。

    わたしは「優れた人」には必ずその人物をしたう若き優秀な人材がそばにいると思っています。それを逆手にとって、若き優秀な人を集めて「優れた人」になろうと思ってホームページにコラムを書くようにし始めました。

    文章を褒めていただいたほうがデザインを褒められるより嬉しいという逆転した感情すらこのごろ持つようになりました。「ことばの力」はすごいものがあります。なにせま「デザインしていないもの」までデザインしたかのように表現できたりします。

    さりとて「プロデューサー」になりたいわけでもありません。デザイナーにも、もっと言葉と発言が必要だと思っています。

    実名を出して他のデザイナーの仕事を批判することはまことにリスキーなことであり書籍という隠れ蓑もない状態なのですが、それは
    インターネットと言うあたらしい媒体でどういうことがデザイナーに可能かと言うテストケースであり「前例がない」不安といつも戦っています。

    オリジナルブランドを作ることは一見冒険ですが、実は意外と負荷が少ない方法もあることを若き優秀なデザイナーに教えてもらい歩みだすことにしました。

    いつのまにか「手工業」ではなく大掛かりな
    ものが「プロダクトデザイン」といつのまにかみんなが思い込むようになっていた呪縛から解き放たれた気持ちです。

    わたしがこれから進む道は出来るだけみなに
    しらしめて「いいものを作ることは一人からでも可能である」事を若い人達に知ってもらえれば嬉しいと思っています。

    秋田道夫

    By 秋田道夫, at 5/25/2005 7:42 PM  

  • 秋田様

    自分で認識している自らの短所のひとつに、レスポンスの悪さというのがあります。
    メールの返信や書類の提出など、すぐに出しておけば済むものを、しばらく放置
    してしまったり、やらなければならないことを先延ばししてしまう厄介な癖です。
    どうも行動するまえに頭で考えこんでしまい、それでどっと疲れて挙句に別のことを
    し始めてしまうことが原因かもしれません。
    私の鈍重な反射能力に対し、秋田さんのレスポンスというかフットワークには
    脱帽させられてしまいます。
    キャッチボールに喩えるとグローブで受取ってから投げるまでのいわゆるロスタイムが
    皆無な印象です。仕事がデキる方はレスポンスも早い、という私の中での法則がまた
    確固たるものになってしまいました。見習わなくてはいけないことがまたひとつ増えました。
    早速の再コメントありがとうございます。

    私はWeb上ではほとんど本名を名乗ることはなかったのですが、一旦露出してしまうと
    なんだかスッキリするものですね。もはや逃げも隠れもしないゾと言う感じで、度胸が
    座ってしまうというか。
    余談ですが、いただいた秋田さんのお名刺の大きく印刷された名前を見て、ある種の
    潔さを感じました。(私を含め)デザイン系の人間は往々にして、自分の名刺を
    構成重視のため文字は小さくしがちですが、自分の名前を控え目にしてしまうのは
    どこか自信の無さを表現してしまっているのかもしれないと思えました。---
    Web上で堂々と実名を出して発言することは、責任を伴うがゆえに余程の自信が
    なければできないことかもしれません。おっしゃるように、デザイナーにとって
    インターネットというツールはどのような作用をもたらすものなのか全く未知数です。
    しかしその中で、敢えて大きな声で発言していくという「実験」を、たいへん興味深い
    ものと思っております。
    他人事のように書いておりますが、私自身にとっても関係の深い問題かもしれません。

    オリジナルブランドの話題で思い出したことがあります。
    数年前にひとりの女性プロダクトデザイナーと逢う機会があったのですが
    彼女は驚いたことに、ひとりで自らのブランド商品すべてを手作りしているとのことでした。
    石や木や紙、革や陶器、竹など、自然な素材を用い、切ったり貼ったり、焼いたり
    結んだりしてインテリア小物を制作しているのです。
    実際に出来た商品(=作品)はどれも最小限の加工でありながら、完成度の高い
    ものばかりでした。
    工場で寸分たがわず出来上がる製品とはちがい、同じアイテムでもひとつひとつが
    微妙に異なり、それが逆に個体の個性となっていて、選ぶ楽しさを増やしてくれて
    いる気がしました。たとえば紙の縁が不揃いだったりするところも、そのほうがむしろ
    自然に思えました。
    デザイン兼制作者である彼女、石原ゆかりさん曰く「自分で出来るものを作っているだけ」
    とのことで、非常に気負いなく活動されている印象を受けました。
    ひとりでもプロダクトをデザインから制作まで全部できるのだということを、彼女は
    身をもって証明しているということに驚き、またそれが自分は全くできていない状況を
    恥ずかしく思いました。秋田さんがおっしゃるように、プロダクトは大掛かりでなくては
    ならないのだという固定観念で凝り固まっていたのかもしれません。
    ちなみに石原さんのブランド「KAKURA」の商品(=作品)はご自身で立ち上げられた
    ショップサイト http://www.kakura.ne.jp/ のほかインテリアショップなどのリアルショップ
    でも買うことができるそうで、着実かつマイペースに販売ルートを拡げられているようです。

    マイブランドを構築したいという野望はデザイナーであれば誰しも抱くことですが
    そんなふうに初めの一歩を大袈裟な気持ちにならずに歩み出せたらな、と思って
    しまいます。まあ、なにはともあれ頭で考えるより先に手を動かせばいいのですが。
    冒頭で申し上げた通り私の欠点はやはり「とりあえず行動すること」かもしれません。

    デザイナーとしての先輩たち(年齢は関係ありません)には見習うことがたくさんあり
    万年初心者デザイナーを脱することはしばらくできそうにありません。
    秋田さんのように他のデザイナーに影響を与えられるレベルまでには、遥かな道のりを
    日々越えていかなければいけません。
    自分の仕事を自分で作り(創り)出すというのが私の当面の目標です。

    2005/05/27 simこと榛葉誠

    By ENTROPXIS Member, at 5/27/2005 1:47 AM  

  • 秋田様

    お邪魔します、kskrです。
    May 29, 2005 「きっかけ」と題されたコラム拝見しました。 ホント毎回驚きの連続です…

    今回では、40年前のナイフとは全く信じられませんでした。刃先の謎の模様は、「危険な部分を意識させる(刃先が消えて見える事の無いように)」ではないかと、単純に思ってしまいました。

    完成前の店舗のガラス部分に、バッテンでテープを貼るのを連想したりもします。真相は解りませんけど、こんなにナイフの刃先がチャーミングに思えた事は今までありません。

    kskr

    By ENTROPXIS Member, at 5/30/2005 12:43 AM  

  • This post has been removed by a blog administrator.

    By Anonymous, at 6/02/2005 10:23 AM  

  • kskr様
    はじめまして。ナイフについているふしぎな模様の「効能」はおっしゃられている「刃先を認識させる」という見解には説得力があってわたしもそうだという気がします。

    ガラスにぶつからないための「バッテンマーク」
    ここで突然ヤマハのパッソルの話に飛ぶのですが電動で高速で走るオートバイというのは「危ない」ですね。音と距離が一致しないのでだれもよけたりしないと思いました。これから電動自動車や水素自動車がふえたら空気はきれいになるけれど事故が増えるのではないと思ったりします。
    それともデジタルカメラのシャッター音みたいに「人工音」を流すのでしょうか。
    そうなるとクルマなのに「ハーレー」だったり1000ccなのに「F1」の音させたり。そういう音のビジネスが成立しそうですね。あるとき暴走族あるとき紳士、スイッチひとつで「性格」が変えられそうです。

    By 秋田道夫, at 6/02/2005 10:24 AM  

  • 秋田様

    突然割りこんですみませんでした。

    プロダクト絡みの音の問題は、大変示唆に富んだお話だと感じます。個人的には、どちらかといえば「メカ本来の音だけが鳴る製品」が好みなのですが、おっしゃられる通りに「付加音」だらけになる可能性もありそうな気もします。要因は色々あるでしょうけど、なにより「メカメカしい製品」がドンドン代替えされつつありますものね(一方で、残るものはしっかり毅然と残るとは思いますが)。

    ビジネスの点で思い出したのは、以前simメンバーに下記の話題を振られた事です。

    以下引用(simメンバーのコメント)
    ----------
    『自転車でバイクの音が出る!?ネットで見つけた自転車アクセサリー』
    http://www.excite.co.jp/News/bit/00091096620525.html
    Turbospoke: http://www.turbospoke.com/
    電動バイクが普及するようになったらもっと需要が増えるかも!?
    ----------
    以上引用終わり

    これは「スポークを弾いた音が拡大される」という、別な意味でメカメカしい製品らしいのですが、ある種の「付加音」というカテゴリーでもあるでしょう。

    「付加音」というカテゴリーで何が問題かといえば、やはり危険や事故の面だろうと私も思います。simメンバーから話題を振られた時、私は「電動バイクは静かなメリットがある反面、対人保険料が上がる可能性があります」と(何故か自信満々で)コメントしてしまってるのですが、実際の所、どうなる事でしょうねぇ。自動車等の例であれば「対人センサー→自動クラクション音」という流れで、全然今までと違った音がデザインされる可能性もあるでしょうか。(とりとめがなくて申し訳ありません)

    By ENTROPXIS Member, at 6/03/2005 12:46 AM  

  • あぅ。ハンドルネームを入れ忘れてしまいました…上のコメントはkskrです。

    By ENTROPXIS Member, at 6/03/2005 7:52 PM  

  • 先のコメント重複してしまいすみませんでした。
    お手数ですがひとつは削除お願いします。

    かく風におっちょこちょいで「メカに弱い」プロダクト
    デザイナーです。(というかブログがまだまだデザインの余地があるということですね。)
    音の話でいえば、先日、京都の地下鉄で、向かいに座った女性と「iPod shuffle仲間」ということでお互いに
    軽く会釈を交わしました。(まあこの頃はiPod shuffle
    が普及し過ぎていて、およそいけていないおじさんまで
    付けているのですが、そういう人とは挨拶しないですが)
    自分のコラムの中で「iPod の白いヘッドフォンをつけて聞いている人が音もれするほど大音量で聞いている
    人に巡り合わせたことがない。もしあのデザインが暗黙のうちにユーザーのマナーを教育していたらすごいことだ」と書いたのですが、同じ京都の地下鉄でえらい大音量で聞いている「いけてない」白人男性に遭遇してしまいました。

    By 秋田道夫, at 6/04/2005 3:46 PM  

  • 秋田様

    どうか私めの失礼の数々をお赦し下さいませ。秋田様から御返事をいただいて大変光栄ですし、私は陰ながら秋田様のファンの一人でありますが、まだまだ「ファンである事」を名乗る資格が無い者でもある、と反省の日々です。

    正直申しまして、御返事いただけるだけで舞い上がっており、simメンバー以外にも今までのやり取り(よろしければ、これからのやり取り)の事も、知らせたい友人知人はいるのですが、私が自分で固く禁じております…いえ、自分で実証する道すら絶っている、と書いた方が正確かもしれません。また、こう書く事によって秋田様に「気を持たせたい」積もりもありません。少しはあるかもしれません…私の性格は捩じれてますので…個人的な目標は偏屈な老人になる事ですし。

    と、ともあれ、秋田様には忌憚なく存分にコメントいただける事や、自在な御活躍を切に願っております…御返事コメントへ私が茶々を入れたように感じられましたら、改めてお詫び申し上げる次第です。

    実際の所、私が秋田様(のコラムやコメント)に感じる魅力は、語り口と内容の多重性です。「今までに思いもよらなかったイリュージョン」を感じたり、「現前する優しさ厳しさ」を感じたりと、幾つもの点線面が「そうだ」「いや、これもそうだ」と明滅して迫ってきます。

    これは自分の少ない音楽経験から得られた「貴重で崇高に思える目眩」と似ているのです。このように書いても、もしかして秋田様にはハタ迷惑な事かもしれませんが、私を散歩途中の道に転がってる小石か何か、と思って見逃していただければ幸いです。

    我ながら恥ずかしい文を書き連ねておりますが、日本に生まれ育ちながらも、日本語とは私にとって難しいものです。秋田様の事を「メカに弱い」とも「ブログがまだまだデザインの余地がある」とも思ってませんし、逆に勉強になる事ばかりです。出来の悪い生徒(=私だとしたら)が、先生に対して纏わり付いてるようで、大変申し訳なく思っています。

    私も個人で使うコンピュータはMacintoshだから、とかこつける訳でもないのですが、この点でも秋山様へ親近感を覚えます…過去にShadeも買ってはみたものの、現在自分の頭とマシン処理が追い付かなくて挫折中という違いはあります。今使用のPismoがまだまだ健在である為「何をどうすればどうなるか」を初心者並みに少しづつ試してる状態です(Pismo先生の生徒としても若干ムニャムニャな所がございますが)。

    さて、iPod shuffleのお話にレスしよう、と思い書き始めたのですが、すっかり長くなってしまった勢いで、もう少々続けます。とは言っても、私はiPod(シリーズ)を持っていないので、本当は当ブログでも何度かiPod shuffleに言及しているsimメンバーにも話しに加わっていただきたい所です。

    私個人としては、iPodが発売されて以来、妙な距離感を感じていて、その中に未だ自分でも解らない謎を含んでいるのです。過去にCDウォークマンを(車でドライブしながら)アームに装着し夢中になっていた(←危ないですね)頃もありましたが、今ではラジオさえ付けない車に乗ってしまっています。

    また「iPod shuffle仲間との素敵なエピソードを私も体験してみたい」と思う一方で、もし現在私が、地下鉄のあるような都市に在住していた場合には「地下鉄の音に心を解放してしまう」可能性もあるような気もします(普通に耐えられない可能性もありますけど)。でも何故か、みなさんと見解が一致しそうな気がするのですね…えらい大音量で聞いている白人男性が「いけてない」と思う部分は。

    コメントとしては長過ぎましたか…読んでいただいて感謝します。

    kskr

    By ENTROPXIS Member, at 6/05/2005 2:34 AM  

  • kskr 様
    ありがとうございます。
    これから書くことは、自分のサイトにしようかこちらに書き込もうか迷ったのですが、イマジネーションを与えてくださったのがkskr 様なのでこちらに書くことにしました。また「内容」が誤解されそうなので「コンセンサス」が出来ていると思っている(そうさせていただいています)このコメント欄が適切かと思いました。
    いわばwhiteboard出張版という面持ちで書かせていただきます。

    先週学校に行ったとき、はじめてあった女子学生がわたしとすれ違ったあと、階段の下で『ねえなんかかっこよくない?』と言ってひとしきり三人で話していたらと思ったらそのうちの二人が上がってきて「先生チョーかっこいいー」とまったく手放しで私のことを褒めてくれました。その上気した顔を見ているとふだんなら「なんちゃっておじさんだよ。」とか言ってはぐらかすところでしたが、真剣に言っているので「受け止めること」にしました。そういう「モチベーション」が学校を好きになってくれたり、課題を前向きにする気持ちになってくれるのなら「かっこいい先生」役をしようと思ったのです。同時に私自身思いもよらないプレゼントをもらった気分で内心小躍りしていました。
    「黙っているとクールなのに笑うとくしゃくしゃになるギャップがたまんなーい」なんて「的を得た(?)」事を言ってくれたりしました。
    ついぞその2日前わたしはちょっと「困惑」していました。友人がつきあっている美人を紹介してしてくれたのですが「きれいですね」という言葉にも反応がなく「秋田さんもいけてますよ」なんて返事が来るのかと思っていたら、プレゼント慣れしているおねいさんのように「
    はいはい、あなたからいただいた言葉の小箱はここにおいて置きましたよ。」「え、開けてみてほしい?他にもあけてないない箱もあるのであとでね」と言われたような気分になりました。

    おかしいなわたしの「小箱」はきれいな包装紙とリボンがかけられていて、しかも「開けやすい」ようにテープも使ってないし、リボンをしまっておくポケットまで用意したのに。という「工夫を見ようともしない」わけです。
    友人曰く「秋田さんのプレゼントがどう価値があるかわからない人もいるんですよ」そんなものかなあ。
    と、はてなマークが頭上にあったまあ学校に行ったのでそんな「はてなおじさん」が受けるとは思ってみませんでした。
    今の話は「実話」ですが、すべて「デザインの世界」のお話に置き換えることができます。
    わたしは若くて優秀な人を見るとアドバイスするのは「オセイジというのは言ったひとが褒め言葉にのせて自分もいけていることを言ってほしいと思っているのでちゃんとお返ししておかないと後で[取り立て]がくるよ」「見られる側になっても、見る側の視点を失ってはいけないよ」「有名になるのは難しくないから、有名になってから恥ずかしくないように今の行動を考えて」と言います。
    kskr 様のメッセージを見させていただいて、先の学生さんのキラキラしたまなざしを思い出しました。
    多分にかいかぶりと「そうあってほしい」という願望がないまぜになったお気持ちを感じています。
    「そうではない」のですが「そういうつもりで」これからも「一目惚れ」されるプロダクトデザインをしていきたいと思います。

    By 秋田道夫, at 6/05/2005 1:08 PM  

  • 秋田様

    こちらこそ私には勿体ないお言葉を沢山いただいてしまいました。なんと「whiteboard出張版」ですか…大変畏れ多く恐縮いたします。

    ただ私としては、秋田様の時間を割いていただく事が非常に光栄であると同時に、若干心苦しくもありますので、御本家のwhiteboardへ書いていただいた方が、より有益だったかもしれません。私は、殆ど毎回自分の事を言われたようにwhiteboardを拝見してます(そして恐らくsimメンバーも、また秋田様をご存じの大勢の方々も)。もし秋田様のイマジネーションのソースが私側にあったとしても、御遠慮なくどこへどのように展開していただいても構わない積もりですし、特にお断りもリンクもいりません。

    …と書いたものの、確かに私側の受け取り方は、秋田様が御本家のwhiteboardで(御説明をされる際)の混乱をもたらす要因になりそうではありますね。

    秋田様の学校での御様子、まるで目に浮かぶようです。「素」や「そのもの」は(特に、心情や気持ちの面では)なかなか「そのまま」で伝わらない事がありますよね。では「物だけ」なら伝わってるかというと、そうでは無く、物理的に「伝わる」と表現する事自体に「心情や気持ちの面」が必要だったりしそうです。さらに「物に関する背景、とそれを知る素養」が与える側にも受け取る側にも必要でしょうし。実際には、心情や物が複雑に絡まりあって感じますが、「美人」はそう感じるでしょうか?…「他の人へ伝えようとした経験」がなければ、他人からも何が伝わってるか解らないかもですね(何しろ美人は何もしなくても、制御なく自然に伝わります?から)。

    例え美人が「伝える経験」豊富でも、逆に伝える時の制御が大変だったりするかもしれません。が、秋田様はその辺を自然体で楽々超えていらっしゃるように、私には思えます。とは言え私には正確な事は何も解りませんが、もちろん「そうあってほしい」願望もありますし、道端の小石(=私)を踏んだり見たりする事で、秋田様の視線を少しでも揺らがせるキッカケになったとしたら、一ファンとしてこんなに嬉しい事はありません。

    kskr

    By ENTROPXIS Member, at 6/06/2005 4:15 AM  

  • sim &kskr様

    今日の仏教のお話おもしろかったです。(そう書くのは不謹慎ですね)
    京都つながりでおはなしすると、京都は「仏教」と暮らす街です。舞妓さんを抱えるお茶屋さんの上客はお寺の人たちだったり。おせちのデザインをしたホテルも清水寺からそう遠くないので、年末テレビで「今年一年をあらわす文字」を書いている大僧侶をそのホテルでまのあたりにしたりします。
    そう京都は「お寺さん」と「先生」の街です。そしてなにをしているかわからない「芸術家」を遊ばして(野放しにほったらかしにしてくれるという意味で)くれる素敵な街です。

    今日のお話にあった「自分が亡くなった後の存在感なんて他人にはなにほどでもない」というのも「無にかえるだけ」というのも、思った以上に俗っぽいあの街の様子と一致します。

    そういえば、先日自分のコラムで「わたしのお葬式は盛り上がりそうだ」と書いたりしましたし、亡くなった父は今でもわたしに影響を与えている、という先のお話とは矛盾する部分もわたしの中にはあります。と添えさせていただきます。

    また「刺激」をこちらのサイトからいただきました。
    ありがとうございます。

    By 秋田道夫, at 6/07/2005 2:27 PM  

  • 秋田様

    御返事が遅れて申し訳ありませんでした。
    その後、(御本家の)whiteboard を拝見し、当ブログでのやり取りから生まれた「展開」を感じつつ、私自身があり得ない程拡張されたように思えて、大変楽しい時を(パソコンの前ではありますが)過ごしました。ありがとうございます。

    秋田様を芸術家と思う事に、私も全く抵抗はありませんし、whiteboardでされてる表現は、「現実との繋がり方」に於いて「いわゆる芸術」を超えている気がします…マネの「草上の昼食」(の少し上)が写ってる画像も意味深ですね。まるで「美術館」を通さずダイレクトに芸術を感じるのは本当に不思議というか、たびたび秋田様が訪れていただけるのも未だに信じられない、という意味で誠に有り難い夢のようであります。

    私もsimメンバーに勧められ、以前丸ビルのコンランショップに訪れた事がありました(その点でもコラムには驚いてしまいましたが)。一般の方々も、あのようなお店で普通に買い物されてる光景は、地方在住の私にとって驚異&脅威だったとです…ヒロシです。でも、もっと深いデザインの為には、軽々と乗り越えなくてはいけない一例である、と私は受け止めました。


    sim様
    私もクオリア日記読んでおりますが、まだダウンロードしていませんです。御紹介いただいてありがとうございます。聞くのが楽しみです。


    kskr

    By ENTROPXIS Member, at 6/09/2005 2:59 AM  

  • 秋田様

    仏教の話ができるほど私には仏教に関する知識がないのですが、生意気にも書かせていただきました。

    しかし私、じつは仏教や寺社や伝統工芸など、およそ日本に古くからあるあらゆるものは、子供の頃からあまり好きではありませんでした。最近になってようやく、そんなに嫌じゃないかも、と思えるようになったくらいです。好きになれなかった理由は多分、それらの本質的な部分ではなく、それに付随する「古めかしさ」や「土着的でローテクな感じ」など非常に表面的な雰囲気を見ていたせいかもしれません。あるいは古いものはとりあえず否定したい、という傲慢さがあったからかもしれません。
    都会的で新しく西洋的なものこそが一番と信じ突っ走ってきた自分の中では、常に日本的なものは「古臭いもの」として一貫処理し、排除したいという意識が働いていたのだと思います。
    そんなふうに反日本的なバイアスを思いっきり掛けつつも、嫌いなものには逆に意識が働いてしまうもので、いつのまにか関心をもって日本のものをみるようになっていました。
    表面的な形や色ではなく、それを作った人は何を表現したかったのか、または何がその本質なのかをつきとめたいという気持ちに変わってきました。
    自分なりに出した答えは、「あいかわらず古めかしさは嫌だけれども、そこに隠れたスピリットには可能性を秘めた何かがある」というものでした。

    秋田さんがデザインされた重箱をJDNの作品画像で拝見させていただいた時、またしても、頭をなにか硬いもので殴られた気分でした。私が思う、スピリットの部分だけが、みごとに再現されているではありませんか! 説明文で謙遜されていらっしゃいますが、私には十分別世界の優雅さを感じます。モノリスの別バージョンようでもあります。たとえば「食べる」という概念を知らない異星人がもしこれを開けても、特別にしつらえたメッセージであることを感じ取ってもらえるのではないかと空想してしまいます。(飛躍しすぎですね)

    P.S.
    Whiteboardに私たちをご紹介いただきありがとうございます。Whiteboard読者の方々にとってはさぞ、いきなり何奴?という名前ですね。kskr氏は別として、私には大した文章は書くことができませんが、読んでくださる方の「想像力による補完」によっては役立つものになるのだという自覚を持たせていただくことができました。

    sim

    By ENTROPXIS Member, at 6/10/2005 2:59 PM  

  • sim様
    わたしも「日本的」だったり「仏教的」だったりが「濃すぎるもの」は好きにどうしてもなれません。今もそうです。なぜ「コンクリート打ちっぱなし」が好きで「数寄屋つくり」が嫌なのか判断しかねるのですが、ヨーロッパ中世の建物もいやなので、きっと「光り溢れる」建物とその「空気」が好きなのかもしれません。程よい「ガラス面」が好きなのであって「日本」でも「外国」でもなく「今の建築と生活」が好きなんでしょうね。
    わたしはとにかく「今」が好きです。
    重箱のおはなしをしますと、依頼されたホテルのすぐ隣に「京都国立博物館」があります。デザインをするにあたって打ち合わせのため、ホテルに泊めさせていただいた翌日の朝、ちょうど開催されて大評判になってい「雪舟展」を観にいきました。
    雪舟はとても有名ですが、案外知っている絵が少ない不思議な人ですが、その絵を見ているとちゃんと「生きていた」感じがして、あたかもその時代にわたしが入り込むような感覚になりました。15世紀のお寺というのが、もっとも進んだ情報源であったこと、遣明使で中国に水墨画を学びにいったのは、イギリスのAAスクールにでも留学したような「モダーン」が眼前に広がりました。

    つまり私たちが目にするのは「500年後の世界」であって、今の時代にフィットしないのは「当たり前」なんですね。

    展示会場をでたところにあった彫刻を見てアイディアの
    ヒントが浮かびました。「彫刻にしよう」と、それも思いっきり「現代彫刻」にしようと。
    清水九兵衛という彫刻が好きなのですが、そうい「マッシブな」ものを表現したかったのです。
    中国の「陰陽」のマークやらなにやら「ミックスブレンド」されて「四角いかたち」におさめました。
    ふたの部分にほどこした「5ミリほどの段差」によって30センチの厚みのもの全体が立体的に別れて感じるのはあたらしい発見でした。

    わたしはあのデザインが大好きです。simさんの目にとまっていたのはとてもうれしく思います。

    それからわたしのコラムの6月4日分にコメントとトラックバックをつけてあります。なにか思い付いたことがあってこちらに書くよりもわたしのサイトの方がフィットすると思うことがあれば書き込んでくださいね。

    By 秋田道夫, at 6/10/2005 6:35 PM  

  • sim様
    重箱に言及していただきありがとうございました。
    あの重箱を依頼されたホテルは、お隣が京都国立博物館という場所にあります。
    最初にそのホテルに伺ったとき、ちょうど評判になっていた「雪舟」展が博物館で開催されていました。
    大勢の人並みの中、今までにふれることの少なかった雪舟の水墨画をみながら、彼が生きていた(15世紀)という時代にあっては、「寺院」というのは最も進んだ「情報と知性」の発信源であったこと、そして僧侶であった彼が先鋭の「表現者」いやデザイナーに思えてきたんです。
    「伝統というのは、オリジネーターに追従する人がオリジナルをこえられないくやしさの折り重なったもの」などという辛らつなことを、以前書いたことがあります。21世紀に生きるわたしは重箱という形式の中で思いっきり「現代彫刻」してしまおうと思ってデザインしたのが、あのかたちです。

    そう、あのかたちには「モダニスト雪舟」の「思い」が入っています。

    By 秋田道夫, at 6/11/2005 11:29 AM  

  • 秋田様

    まずこのサイトの不調についてお詫びしなければなりません。
    言い訳になってしまいますが、ここ一、二週間ほど、このサイトを置いているサーバーが
    内部移転をしていまして、書かれた文章が時々アップロードされない状況にあります。
    (ややこしい話ですが、書かれた文章は一旦Bloggerサーバーに保管され、数分後に
    本サーバー(現在不調なほう)に再アップロードされる仕組みになっております。
    6/10に折角書いていただいたコメントが、たまたま本サーバー側で受け取ることが
    できず、まる1日以上経ってから現れるという奇怪な現象が起こってしまいました。)
    繰り返し同内容の文章を書いていただくことになってしまい申し訳ありませんでした。

    重箱の画像を見て、私、ニヤリとしました。これは陰陽マークではないか!と。
    蓋に施された互い違いの段差が、蓋を閉じたときの全体の塊感を、あれほど
    明確に演出できるなんて驚きです。人間の感覚(錯覚)のツボを、さりげなく押さえて
    いらっしゃっていますね。私もツボ押しされた気分です。
    「これ面白いデザインだな」と感じるときは、結構このツボを押されたときに感じる
    ことが多いような気がします。心地よい裏切られ、とでもいうのでしょうか。

    ところで以前、日本の伝統工芸展に携われていた方(名前は失念してしまいました)の
    話を聞いて印象に残っていることがあります。
    「伝統工芸を創作する時に重要なのは、それまでの伝統に単に従うだけではなく
    作者の独創性や新しい技術や考え方を取り入れることです。伝統とは、じつは
    個々の作者による、たゆまぬ工夫や革新によって築かれたものなのです。」
    といったことを言われていて、意外な反面、なるほどと思いました。
    秋田さんの「オリジナルをこえられないくやしさの折り重なったもの」という伝統の
    捉えかたは、逆の意味にも聞こえますが、じつは同じことを言われているのでは
    ないかなと思いました。
    おっしゃるように、500年前の作品を見て、違和感を感じるのは当然のことかも
    しれませんね。私たちは、それの「志」の部分を汲み取り、現代に生まれ変わらせる
    役割があるのかもしれないな、とコメントを読ませていただき感じました。

    P.S. kskr様
    6/11のコメント、修正ください。 「秋山様」ではありませんよ! お疲れなのですか?笑

    By ENTROPXIS Member, at 6/11/2005 10:22 PM  

  • 秋田様 sim様

    秋田様の名前を間違って投稿してしまいました、ごめんなさい。確かに疲れてます。元の投稿は消し(反映されてるかな?)…しばらく休もうと思います。

    kskr

    By ENTROPXIS Member, at 6/12/2005 12:30 AM  

  • kskr様
    お気遣いありがとうございます。
    すでに消されてしまったコメントの中にとても自分にとって大切なキーワードがありました。
    それはわたしにもある「嫉妬心」です。
    昔から「私を有名にしない力が働いている」と身近の友人に話していました。ひょっとしたらその「独白」を聞いた人自体もその役割を、その後しているかもしれません。デザインというと「自由」と同義に思われがちですが「彼でなければできない」という人はまれです。ゆえに定評が「いのち」という本末顛倒が起きてしまいます。

    この話は一晩中でもお話しできる「おいしいテーマ」ですが「嫉妬される」ぐらいでなければ後世には残らないですね。
    コルビジェも当時の主流からはこっぴどい誹謗中傷されたそうですし、わたしにはインターネットをとおしていろんな人から理解されていることを知りましたから。
    毎日楽しく葛藤しております。

    またコメントしてくださることを願っております。

    By 秋田道夫, at 6/13/2005 9:27 AM  

  • 秋田様

    コメントありがとうございます(すみません返事が遅れました…サーバーの具合がまだちょっと謎なのですが、一先ず見切ります)。消してしまった妙な私のコメントは、頭の不調で戻らなくなってしまいましたが、秋田様から上手く汲み取っていただけた事は、私にとって実に幸いでした。

    もしかしたら数学者のコミュニティも、ドロドロした部分があるのかもしれませんが、数学者や物理学者の一つの理論によって、世界が一夜にして変わる、とよく言われることですよね?…(どの日の一夜かはさておき)。秋田様の考え方や作品群も、数学者に於ける一つの理論のように、急激に浸透する日が近いのではないかと感じます。現にsimメンバーは深いレベルまで感じ取っているようですし、一般の方も製品に対して哲学や理論を求める欲求は高まってる気がします。

    確かに「着せ替え」の需要は一定の割合で何時の時代にもあると思いますが、逆に現代の目まぐるしさを「着せ替えのようなもの」だけで「耐えられる」人は殆どいないのではないでしょうか…半分私の願望と妄想が入ってるかもしれませんが。

    雪舟のお話も三段重箱のお話も、興味深く拝見してましたが、私にとって「思いが行ったり来たり」出来る作品は非常に魅力的に感じます…ただ私は、コルビジェの「休憩小屋」も等伯 の「松林図」も魅力的に感じるという浮気性な部分がありまして、未だに自分自身で「どこに整合性があるのだろう」と若干分裂の日々です…私にもどうぞ葛藤させて下さい(?)。

    こちらこそ、よろしければ叱咤、激励、御意見、等々お願いいたします。

    kskr

    By ENTROPXIS Member, at 6/18/2005 6:16 AM  

  • kskr& sim様

    お返事ありがとうございます。
    わたしにとってここに書くことは自分のサイトに書くのとはちがうモチベーションがあるので「好き」です。
    それはお二人が総合的に美について考えられている気配が濃厚なことと私自身が実は引き出しに入れていた知識が、お役に立てるうれしさがあります。

    あるデザイナー紹介ブログに「ヘンリー・クロス」という音響デザイナーが紹介されていました。
    今色々なデザインショップに置かれるようになった木の箱につまみとスピーカーだけがレイアウトされた「tivoliaudio」の創設者なのですが、経歴を知ってびっくりしました。それは自分が高校生か大学生の時にオーディオ雑誌を見ては惚れ込んでいた「AR」というスピーカーを作っていた人だったからです。

    simさんもきっと「AR」という名前にはじーんと来るものがあるかと思います。
    そしてなにか「救われた」気持ちになりました。あれだけ色々な才能があつまったオーディオの世界が消滅するとはあまり思いたくない気持ちがあるからです。

    今、もういちど「究極のオーディオデザイン」をしてみたいと思っています。

    By 秋田道夫, at 6/18/2005 6:21 PM  

  • 秋田様

    「ヘンリー・クロス」…恥ずかしながら私は初めて知りました。非常に勉強になり、教えていただきありがとうございます…秋田様は「こぶた*」さんのブログにもコメント書いていらっしゃいましたね。

    Tivoli Audio の製品は、インテリアと融合しつつも「素敵なせめぎ合い」を感じました。(せめぎ合うという言葉は上手い表現ではないかもしれませんが、ピッタリな言葉が出てきません)。しかも、あれだけのコンパクトでありながら音楽のプロを唸らせる音質とは驚きで、聞いてみたいと思わずにはいられません。また、システム構成に合理性を感じますし、私にとっては(特にラジオの)ダイヤル周りの明解さにタマラナイ魅力を感じました…私は触れたい物に弱いのです。まだ日本では一部の人達に注目されてる段階なのかもしれませんが、このような製品が長期に渡って作り続けられる(であろう)事に嬉しくなります。

    「究極のオーディオデザイン」…凄くワクワクしてきます。中学から高校生の頃、友人の影響で何も解らないながら私もオーディオ雑誌をよく見てました。当時「大人への憧れ」を感じるデザインが多かったように思い出されます…その頃友人のオーディオへ対する「儀式的な取り組み」には謎でしたが、今に至る過程で(最近では秋田様も含めて)様々な方からヒントを教えていただいたと思っております。それにも増して、秋田様が究極のオーディオのデザインされる事を、実に楽しみにしております。

    kskr

    By ENTROPXIS Member, at 6/19/2005 3:11 AM  

  • 秋田様

    一ヶ月もレスを怠ってしまい申し訳ありません。
    無視を決めたようにみえたとしたらごめんなさい。
    私はときどき持ち場を離れ、一定期間、無責任にも
    なにもしないで過ごすクセのある人間です。

    なにもしない、というのは私の仕事であるはずの
    「デザイン活動」にも言えてしまいます。
    言葉にするのが恐ろしくなるほどですが、私はもう二年も
    世の中に自分のデザインを発表できずにいます。
    いえ、それどころかこれは私がやったデザインだ!と威張って
    言えるものは、過去10年は世に出せていないとすら言えます。
    それくらい私は、ダメプロダクトデザイナーなのです。

    プロダクトデザイナーという肩書きを使っていることすら
    秋田さんから見れば一笑に付されてしまうかもしれません。

    筆をもたなくなってしまった絵書き
    ペンを取らなくなってしまった詩人
    歌わなくなっってしまった歌手

    そして私がデザインしなくなってしまったデザイナーです。苦笑
    10年くらい前が、ターニングポイントだった気がします。
    急激に、自分のデザインが世の人たちから必要とされていない
    気配を感じました。
    その時期は、私がデザイン事務所を辞め、シャープのインハウス
    デザイナーになった時期とリンクします。
    事務所時代にケンウッドの電話機などをデザインしていた時が
    今から思うと一番楽しかったのかも、と思えてしまいます。

    一旦リズムが狂い始めると、底無しに不協和が生じるもので
    自分がいいと思うものは世の中的にはNG、自分がダメと思うものは
    世の中的にはOKという、パラレルワールドに迷いこんでしまったかと
    思えるような状況でした。
    そしていまもその状況は変わっていません。

    止まない雨はない。
    そう信じて、いつかは「自分の時代がやってくる」と、妙な楽天主義を
    貫いていますが、所詮人間は社会的な動物ですので、人々から
    認めてもらえないことに対するストレスは少なからずあります。

    10年間降り続く雨の中、(傘を持っていず)雨宿りでボーっとしているのが
    今の私です。
    目の前を通り過ぎる車や傘をさした人の流れ(デザイントレンド)を見て、
    暇をつぶしていますが、そんなもんに迎合してたまるかと変な意地を
    張り、いつまでも同じ場所に突っ立っている偏屈な人間が私です。
    時々、これ見よがしの高級車(売れている方々の記事など)に
    水を跳ねられ(圧倒させられ)、びしょ濡れになりますが、それでも
    雨宿りはやめません。
    ひょっとすると永遠に雨は止まないのか?という観念にとらわれて
    しまうこともありますが、ここまで来た以上、偏屈を貫き通そうと
    思っています。
    秋田さんはここではさながら、オープンカーに乗ったドライバーでしょうか。
    しかも少し幌が締まりきっていないように見えます。汗
    雨宿りでじっとさせられている人間からすれば、車で疾走する秋田さんは
    羨望の的に値しますが、幌から雨が入り込む車はとても居心地が
    良いようには見えません。私と同じように、早く雨が上がって欲しいと
    願っているに違いないと勝手に想像してしまうのです。

    雨宿りで立ち止まっていてはデザインをしたことにはなりません。
    歩き続けることこそ、デザイン活動であることは百も承知です。
    しかし、私は雨が嫌いなのです。
    濡れながら歩く(不本意なデザインをさせられる)なら、その場所に
    突っ立っているほうがマシだと真剣に思っています。
    雨が上がればかならず、晴れ間の中、幌を外したオープンカーが
    どの車よりも輝いて見えることを私は知っていますよ。
    そして私はそんな晴れ間の中を再び歩き始めることを夢見ながら
    ボーっと雨の風景を眺めています。

    今回もちゃんとしたレスになっていなくてすみません。
    ちょっと変なことを書いてしまいました。

    sim

    By ENTROPXIS Member, at 7/19/2005 9:41 AM  

  • simさんへ

    ケンウッドの電話機をデザインしていたことがあると知り私を昔から知っていらっしゃることを改めてわかったのでびっくりしました。

    そして今回simさんが書かれたコメントにここでお返事するよりおあいしてお話ししたい気持ちになりました。

    By 秋田道夫, at 7/21/2005 9:13 PM  

  • 秋田様

    私が秋田さんの存在を知ったのは、2年ほど前、インターネットで工業デザインの事務所サイト全般を検索していた際、秋田さんのサイトを発見した時だったかと思います。
    私、以前ケンウッドの仕事をしていたのに、秋田さんの名前を知らずにいたのは、ちょっと野暮だったかもしれませんね。ケンウッドのデザインセンターの方との仕事上でのお付き合いは、一部の人に限られていましたので、かつて居られた方の噂を聞く機会がありませんでした。もともと業界内の事情に無頓着だったため、不勉強だったということもあるのですが。冷汗

    ところで、私が秋田さんの印象を鮮明に受けたのは、ZDNet(現ITmedia)の記事http://www.itmedia.co.jp/news/0310/24/nj00_akita.htmlでした。
    これは凄い記事でした。私、Palmにテキストをコピーして通勤途中に読んだくらいです。(通勤先は当時、ちょうどSonyだったということもあり、心境は複雑でしたが。苦笑)

    前回コメントへのお返事を、直にお逢いして伺えたら、そんなうれしいことはありません。私のような文才のない人間にとっては、文字の使用はディスコミュニケーションの元です。オフラインでお話しさせていただける機会を待っています!

    sim

    By ENTROPXIS Member, at 7/23/2005 9:35 AM  

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