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ENTROPYX説

2005/06/07

仏教の話

茂木健一郎クオリア日記をのぞいていたら、6/4のエントリーに僧侶の南直哉師との対談音声ファイルが(太っ腹にも無料で)公開されていたので、早速ダウンロードして聴いてみた。
130分にわたる長時間でありつつも、噛砕いた語り口の上、ユーモアを含めながら話す師の話に聴き入っていると、あっという間に時間が過ぎてしまった。
「南直哉×茂木健一郎対談」というお題になっていたが、茂木さんはホスト役、もしくは教えてもらう人という立場で、130分のうちのほとんどが南直哉師の熱弁にあてられた形になっている。

「人間という存在はもともと大したものではなく、この会場の誰かが死んだって、それをほんとに悲しむ人などそういない。1ヶ月もすればその人を知る人たちは皆元の生活に戻っているだろう。だから死んでしまうことも選択肢の一つなんです。でも仏教は生きるというほうに賭けることにした、それが前提なんです。」といったことを言われていて、愕然としつつも妙に納得したり。
また「天国に行くことを目標にするのではなく、世界の外に出る、あるいは完全に消え去ることを目標にしなさい、と仏教は教える。」という話にもビックリ。

しかし師の話を驚きつつも違和感無く聴けるというのは、普段とりたてて意識しないけれども私が紛れも無いブディストであることに起因するのだろう。自宅には仏壇もないし、線香をあげるのが年に何度もないけれども、おそらく思考の基本が仏教的なのだ。
仏教は限りなく宗教的でない宗教だと思うし、宗教の要素を取り除いた概念の部分(それが禅だと私は解釈しているが)をとても好ましくも思っている。
そして禅は科学の向こう側を見据えているような気がする。

日本人に生まれてきたことにデメリットばかり感じてしまう今日この頃だが、このようなお説教をネイティブな耳で享受できることを誇りに思ったりもする。
そして茂木さんに感謝!


朝日カルチャーセンター講座
「脳と癒し」第4回 2005年6月3日午後6時30分
於:朝日カルチャーセンター新宿
音声ファイル(118MB)
http://www.qualia.csl.sony.co.jp/person/kenmogi/lectures/jikisai20050603.MP3

茂木健一郎 クオリア日記 June 04, 2005
http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2005/06/post_dff3.html
より


sim

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