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ENTROPYX説

2005/04/29

虚言実行(キョゲン-ジッコウ)

前回私は『なかなか投資関係の分野に参加出来ないでいるが』と書いてみたものの、実は或る証券会社に口座を開き、オンライン投資を開始した当日でもあった。まずは地元企業の株を約定できたのである。こんな行為を「不言実行」ならぬ「虚言実行」と言えるのかもしれない…いや、書いてみたかっただけであるが。

とはいっても、近年徐々に一般化しつつあると言われるデイトレードや信用取り引きをしている人達から聞かれたら、私が動かしたのは鼻でせせら笑われるくらいの小額だと思う。ただ金額を明かす積もりはないから、それはそれでよい。

実際私は楽しんでいるし、どこぞの反日デモの影響かどうか含み損を出してしまっているが、幸いにもデモとは関連性の深くない企業銘柄を選ぶ事が出来た(と信じている)。それにも増して自分が期待している企業に、ささやかながら役に立ってると思えるのは(勘違だろうとなかろうと)気持ちが良い事を知った…と同時に、さしあたって消費するあての無い個人的資金を、企業が必要としてる資金に投じるとは一体どういう事であろうか、という疑問も生じた。或る面では「まとまった消費行動」の時間帯(期間)を他人に譲り合ってる気がしないでもない…若干目眩がする思いである。

ともかくも、常々「一憂二憂」しがちな私にとって「一喜一憂」に転じる事が出来たのは、差し引いて何「喜び」分かは跳ねてる気分がする。ちょっとだけ跳ねたついでに、私が最近市場の動向を感じて作ったシンプルな曲を披露したいと思う。初めは坂本龍一さんの「ASIENCE」の音律を真似た積もりだったが、ベースとメロディだけなので、お笑い芸人の「はなわ」がクラッシックに手を出して失敗した出来になったような、ならないような…まぁ、気が向いた時に聞いてもらえたら幸いである。タイトルは「乱高下」といったところだろうか。

「乱高下」(mp3/約1MB)

尚、株価とは何の関係もないので分析は無用である。

kskr

2005/04/07

欲立体(ヨク-リッタイ)

過去数週間、私は「欲の位置」をプロットしていた。勿論そればかりしてる訳にもいかないので、全く大雑把に、全く片手間に、全く脳内で、である…要するに私のエントリーは、全て科学的な根拠が一切無しで行われている。改めて御注意いただきたい。

そもそも何故「欲の位置」か。


それは、もともと欲が無いと言われている私が、最近の「人間様の欲の姿、欲の佇まい」を理解し難かった為だ。また一方で、日本語の「欲という言葉の使われ方」に疑問が生じた為でもあり、ここらで一丁整理してみるか…という成り行きである。本来、伺い知れなかった「欲」という事を勝手に整理しようとは、これほど強欲な事があるのだろうか…生気論である、活力論である、バイタリズムである。

まず、最近の人間様の「欲」が解らない…が、徐々に感じてきたのは、バイタル(生気)が高過ぎても低過ぎても「欲の方向」が見えないという事だ。極端に書けば、ハイになってイッちゃってる人は何を言ってるのか定かでないし、寝てる人は何一つ(0ではないが)主張しない…つまりは、周囲の理解する範囲を越えて「欲」が蒸発してるように見えてしまう。また「欲の方向」が多くても、不明確な立場になる…次々と素早く方向性が切り替わる事で、周囲に対するアピアランスに欠けるといった所か。

次に日本語の「欲」…例えば「欲が出る」「欲の皮が突っ張る」「欲に転ぶ」「欲に目が眩む」「欲が深い」「欲が消える」「欲が無い」と、お馴染みの使われ方を並べてみたが、対義的な文節として成り立ちそうなものは「欲が無い⇔欲が有る」ぐらいではなかろうか。他の「欲が出る⇔欲が入る?≒欲が消える??」「欲が深い⇔欲が浅い???」等々と各自比較していただきたいが、言語機能としての合理性が破綻しており、古来「欲」に関する日本語の定量化を怠ってきたのかもしれない…とする考え方は、翻って「欲の位置」を日本語で明確に表す為の第一歩とも思われるのである。

別の角度から引いて見てみよう。最近ある政治家に「〜は所詮マネーゲームに過ぎない」云々のコメントがあったが、そのコメントは批評性も提案性もない。贔屓目に見てさえ、論旨を支持する日本語の構造がボロボロであり、もしボロボロでなかったとすれば、「マネーゲーム」を散々しているが故によく(マネーゲームを)理解してる者の言葉になってしまう。畏れながら私には、彼の政治家が単に10秒ルールに囚われていた(しかも刻々と抜け出せない域へ達しようとしてしまっている)と思わざるを得ない。あくまで彼が日本語の現状を充分に自覚していたのなら、『…投資の動向や株価などは、人心と客観的数値評価の接点とも言えましょう…しかし、そこで表現されるのは、人心の全てでも数値評価の全てでも無いと考えております。すなわち…』などと含みを持たせるような事を何故言えなかったのか。それは人心に於ける「欲」の把握に彼自身も含めて失敗したからだ。

では、把握され得る「欲の構造」とはどんなものだろう。上にも書いたが、株価等のグラフチャートは一考の余地がある。それが若干専門的であるが故に、制限付きで、間接的で、限定的で、一人一人の「欲」が特定されていない。しかし、仮にもし直接人心とリンクされていたらどうだろう、と考える事は出来る。しかも株価等のグラフチャートは要素を限定してる分、時系列数値の空間的把握が容易であり、部分詳細を追うのにはイイ線をいってるのではなかろうか…残念ながら私は、なかなか投資関係の分野に参加出来ないでいるが、株価の意味を知り、単元の意味を知り、出来高の意味を知り、日本人が考案したとされるローソク足の意味を知り、チャートを「市場の欲」と見立てる事で、束の間の楽しみを得つつある。余談ではあるが、株価のデータを音楽のモチーフとして使う試みも既に行われていたらしい…生憎、株価を知るツールとしても、音楽作品としても公表された例を見つけられなかったものの。

そして延々と時間を消費しながら、私は自分自身も含め友人知人古今東西あらゆる人の「欲の位置」を、推測憶測想定出来得る限りにおいてプロットしつつ、妙に馴染みのある形が思い浮かんだ…どうもこれらのマンセル色立体(Googleイメージ検索)と殆ど同じイメージが、私の頭の中から離れなくなってしまったようなのだ。

御存知ない方の為に書き添えると、通常マンセル色立体は「上下方向=色の明暗(明度)」「水平断面の極座標=色味(色相)」「水平断面の放射方向=色の鮮やかさ(彩度)」を表す。形が単純な円筒形でなくイビツなのは、人間にとっての分解能(≒彩度)が明暗や色味によって異なるからだとされている。

まだまだ試論の段階ではあるものの、この三つの要素「明度・色相・彩度」が「欲の位置」を示すのに使えないだろうか、という訳である…例えば「明度→バイタル(生気)→欲明度」「色相→欲の種類→欲色相」「彩度→欲の強さや純度→欲彩度」などと当て嵌めてみる。すると驚いた事に、プロットする上で随分上手く整理されてしまいそうなのだ。さらに「欲明度・欲色相・欲彩度」の基準を一旦決めてしまえば(決められるとしたら)、「欲」を正確に数値で表現できるのに留まらず、従来の曖昧さを残したまま、より機能的な日本語への道も開けてくるのではなかろうか。

仮に例文を作ってみるが、次のような表現が可能になるであろう…

『あなたの欲は、およそ5R 4 / 14 の位置にあります』『ちょっとブルー欲が深すぎるんじゃない?』『待てよ、全体的な欲明度を下げて落ち着いてみるか』『それは欲味が多過ぎて濁りきっているなぁ。もっと鮮やかに!』

…このように「欲」を立体的に想定する事で、「数値的な欲の位置」も「日本語の曖昧な欲や機能的な欲」も、連続した関係を損なわずに、場合に応じて使い分けられる可能性があるのを私は示せたようだ…いや、示せたろうか?…まるで自信が無い。

確かにテクニカルな問題点はまだまだ残っている。特に、時系列データを扱う状況で「今、現時点における欲の範囲の設定」次第では、モデルが異なってくる。つまりその「範囲設定」が既に3次元なら時間の方向を加えて4次元になるし、1次元〜2次元に抑えられるのであれば、生涯の「欲履歴」を3次元モデルの中に詰め込む事も可能であるはずだ…まぁ、時間内に語り得るには、あまり欲張らないルールを作るに越した事はないのだが。


kskr